日総ビルディング株式会社

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沿革

I. 日総ビルディング株式会社のルーツ(その1)

1948昭和23年 大西紀男現社長の父が、横浜駅西口で東横倉庫株式会社を設立。
その後、倉庫敷地の一部に日本楽器製造(株)横浜店向貸ビルを建設・賃貸。
二代目社長大西晴之(紀男の兄)の時代となり、横浜駅西口倉庫跡地に大型商業ビル(現ビブレ横浜)建設・賃貸。
1975 倉庫事業は新会社を設立し分離。社名は東横倉庫を引き継ぐ。
(新)東横倉庫株式会社の社長に大西紀男が就任。
横浜駅西口の倉庫のお客様であった株式会社リコー様の神奈川商品センターを横浜市戸塚区秋葉町のサブリース倉庫へ移転。
1979 ビル賃貸業に進出。 株式会社リコー様並びにグループ各社を集合した賃貸ビル第1号が竣工。
「オーダーメイド型、自社ビルのような貸ビル」のコンセプトで新築。ビル名称も「リコービル」と命名。
その後、株式会社リコー並びにグループ各社様より神奈川県下の各施設の建設賃貸を受託。リコー神奈川商品センター、厚木商品仕分け倉庫、海老名ファクシミリ軽修理センター等々。
リコーグループ各社様のスペース調達を一括引受せさせて頂いた。
  1. 日総第1ビル

II. 日総ビルディング株式会社のルーツ(その2)

1981 「東横倉庫」より「日本総合建物」へ社名変更。
大西紀男が100%株式を取得し、倉庫・オフィス・住宅等総合的にスペースを提供し、「世の中に今は無いが、これから求められるスペース」を提案・提供する会社を目指すことを経営の目標に掲げた。(提案型企業の理念)
1982 ❶ 現在のロゴマーク制定。
業務に激しい情熱をそそぎ、業績を伸ばしていく。このことを表した「赤色」「躍動・伸張」をイメージしたロゴマークです。
❷ 横浜駅西口の北幸地区(駅より徒歩5~10分)は、当時中小工場が林立していたが、徐々に横浜市金沢区の埋立地へ移転してゆく。その跡地を集中して買受け(リコービルもこの北幸地区に建設)、オフィス街形成の先導役として活動。
北幸地区を格調あるオフィス街とすべく、各ビルは道路より壁面撤退をさせ、植栽と環境彫刻(故 脇田愛二郎氏、米国のケリー氏等の作品)を設置、横浜市より「彫刻通り」と命名され、オフィスワーカーに喜ばれた。
第2ビル、第3ビル、第5ビル、第6ビル、第7ビル、第8ビル、第9ビル、第10ビルと約10年間でリコービルを含め9棟、延約1万坪を建設・賃貸。
  • 日総第2ビル
  • 日総第3ビル
  • 日総第5ビル
  • 日総第6ビル
  • 日総第7ビル
  • 日総第8ビル
  • 日総第9ビル
  • 日総第10ビル
1987 ❸ 新横浜地区へ進出
新幹線ひかり停車、横浜市営地下鉄乗り入れ、あざみ野駅へ延伸等交通利便性が高まった新横浜地区へ賃貸オフィスビル建設。
新横浜地区ビルナンバーを11番からとして、次々に竣工させた。
第11ビル、第12ビル、第13ビル、第14ビル、第15ビルと約8年間で5棟、延床面積約6,000坪竣工。
  • 日総第11ビル
  • 日総第12ビル
  • 日総第13ビル
  • 日総第14ビル
  • 日総第15ビル
1985 ❹ 東京(港区神谷町、六本木、麻布地区)進出。
サービス付高級賃貸レジデンスで日本第1号となる『ザ・タワー飯倉』全23室をオープン。
ホテルライクな内外装デザインを有する日総第22ビル、再開発用地として取得した用地を着工迄の間、戸建住宅オフィスとしてリニューアル(ホームインオフィス)等オープン。
ユニークな提案型スペースとして注目を集める。
  • 日総第22ビル
  • 東京本部(六本木)
  • ザ・タワー飯倉
1987 ❺ 米国サンフランシスコ市中心部で最高級ホテル計画始動。
築80年、歴史的保存建物「600ストックトンビル」取得。
延床面積1万坪。当時廃墟状態であったものを取得。
外観・中庭は保存し、建物内部はホテルへ大改造し、大宴会場、プール、スパ、2つのレストラン、バー、ロビーラウンジを備えた336室のホテルとして竣工。運営はRitz Carlton社に委託。同社のフラッグシップとして5スター、5ダイヤモンド取得、全米4位にランクされた。
取得よりオープン迄、4年間を要した。(1987~1991年)
  1. ザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコ

III. 苦難の時代

1992-2001 日本銀行の金融の急激な引き締め、地価税、土地保有税、事業所税等、不動産に係る税制の強化等により、土地価格・株価は急激に下落に転じ、日本経済そのものも急降下が始まるという「バブル崩壊」が続く状況に陥る。
前身の日本総合建物もその影響を受け、主要銀行より金融支援(金利引下、約定返済ストップ、貸付残高維持)を受け、景気回復を待った。
その間、所有物件の無理な売却は一切行わないという厚い支援であった。しかし、1988年より不良債権の早期処理を行う金融庁の方針により、会社整理へと融資銀行の方針は転換せざるをえず、全所有物件売却、会社清算へと移行。日本総合建物自体は清算しても、その事業の一部を事業譲渡により新規の会社に移行することを模索。

IV. 日総ビルディング株式会社の誕生

1998.8 日本総合建物の事業の一部を承継する会社として当社が融資銀行の了解のもと設立された。
設立時資本金5,000万円。代表取締役石田信。
同時に、長年、横浜駅西口北幸地区のサブリースオーナーであるサンプレデン産株式会社の全面支援を受けることになった。
2002.8 当社がサンプレデン産株式会社を実質的に吸収する形で合併。この結果、自己資本20億を超す中堅企業として当社は再生した。
同時に、日本総合建物は自己破産により消滅した。
2003.3 大西紀男が当社社長に就任。
事業を積極的に行う方針を再度打ち出す。

V. 再生後の第一ステップ

2003-2008 不動産マーケットには、不良債権の最終処理のため売却される都心の物件が多数現れた。
当社は、その様な物件を取得し、リニューアル、リースアップをして不良不動産を再生する事業を積極的に行った。
同時に土地を取得し、新築・優良賃貸ビル開発も行う。
  • ヴェネオ南麻布
  • ヴェネオ四番町

2007年頃、米国サブプライムローン問題がニュースに取り上げられた頃より大西紀男はいずれ日本にもその影響が現れると予見し、2008年9月のリーマンショックが起きる前に『六本木市街地再開発事業』並びに『麻布十番温泉計画』より撤退。
リーマンショックの影響は皆無であり、一方、撤退により投下資金の回収をしていたため、潤沢な資金を手元に保有することに至った。

  • 日総第17ビル
  • 六本木一丁目南開発地区
    市街地再開発事業
  • 麻布十番温泉プロジェクト
    「麻布花壇」

VI. 都心小型ビル事業の展開

2009-現在 2008年9月のリーマンショック直後より不動産投資ファンドが相次ぎ倒産。保有していた不動産が売却されることになった。価格は30~50%の急激な不動産価格の下落。
当社は稼働中のビル、開発用地を次々に取得し、リニューアル、リースアップ、新築を行った。
  • 日総第23ビル
  • 日総第24ビル
  • 日総第25ビル
  • 銀座745ビル
  • エキスパートオフィス麹町
  • エキスパートオフィス渋谷
2015 ニュー東京ビル取得。
今後、取り壊し、新築計画を推進中。
  • andビル(完成予想図)
2018 日総第18ビル(旧第2上野ビル)取得。
  • 日総第18ビル

VII. 高級レンタルオフィス『エキスパートオフィス』事業の展開

2012-現在 1980年代はオーダーメイド型一棟貸のビル経営が主体であった。
1990年代~2000年代前半迄は、一棟を使って頂いた大手企業の方々が契約期間満了と共に撤退し、その跡をワンフロア、または50~100坪くらいに分割して賃貸していた。
しかし2000年代後半より、中小ビル市況は悪化し、賃貸相場は低迷。
そこで当社は10~30坪の小割区画とし、共用会議室を設けたりセキュリティの強化を図る等、高級スモールオフィス賃貸へと営業路線を転換。
2012 日総第23ビル(旧虎の門T3ゲートビル)で5~10坪に分割し、1階に共用ラウンジ、会議室を設けたレンタルオフィス第1号を営業開始。
商品名を『エキスパートオフィス』とした。
  1. 日総第23ビル
  2. 1階ラウンジ
2014 新横浜駅前の第2上野ビルにて『エキスパートオフィス新横浜』オープン。神谷町オープン。渋谷オープン。
2016 新橋、日本橋、麹町オープン。
  1. エキスパートオフィス新橋
  2. エキスパートオフィス東京
  3. エキスパートオフィス麹町

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