ザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコ米国カリフォルニア州・サンフランシスコ 1900年頃、メトロポリタン生命保険の西部地区本社として建設。その後左右の両ウィングが増築され、歴史的保存建造物指定を受けるサンフランシスコのランドマークとして位置づけられた建物であったが、1980年代には英語学校が所有し学校として運営されて以降、手入れが悪く廃墟に近い状態であった。その後、信託銀行の紹介を経て日本総合建物の米国子会社として設立された「GREAT CALIFORNIA INC.」が取得。外観を保存し、建物内部は実質新築と同程度の大幅なリノベーション(大規模改修工事)を行いホテルへ用途変更を行った。 ホテルオペレーターの選定においては、名だたるファイブスターホテルのオペレーターに面談した結果、「リッツ・カールトン」を選定。インテリアデザインをボストンにある世界の著名なホテルの実績を有する「フランク・ニコルソン」、建築設計・施工会社を「鹿島インターナショナル(鹿島建設の米国子会社)」というまさに最高品質のホテルを作るに相応しい設計チームにて推進。当時、鹿島インターナショナルの責任者は、株式会社イリアの現社長である松岡昭悟氏であり、当時として数少ないCADシステムを用い各種設計業務に迅速に対応頂くこととなった。 日本総合建物としてホテル開発実績はなかったものの、短期間で徹底してインテリアのディテールからファイブスターに相応しい配置・動線計画といった建築コンセプトに至るまで知見を吸収し、打ち合わせにおいて各分野のプロフェッショナルの方々をリードするに至った。1987年のスタートから、1991年4月竣工オープンまで、その間サンフランシスコ大地震に遭遇するなど当初予定より1年遅延し、満4年の歳月を要することとなった。開業にあたり初代ゼネラルマネージャーとして、当時30代半ばの気鋭で後にリッツ・カールトンホテルカンパニーのプレジデント兼COOとなるハーヴ・ハムラー氏が着任した。 広い中庭の下を全面的に掘削し300坪のボールルーム、大型のプールやジム、スパを完備させ、上層階にあたる8・9階はクラブラウンジとバトラーが待機するクラブフロアとするなど、今では当たり前となったホテルコンセプトも、当時としては非常に先駆的であった。開業4年目でファイブスターとファイブダイヤモンドの称号、そして全米ホテルランキング第4位を獲得し、その後開業する全リッツ・カールトンホテルのフラッグシップとして位置付けられるホテルとなった。その後、1998年に売却するまで好業績を継続した。
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